トンキョンkarasuと198cmの大男

トンキョンkarasu 風説
トンキョンkarasu









トンキョンkarasu ケインズの父ジョン・ネヴィルケインズアルフレッド・マーシャルと親交があり、ケインズは子供の頃からマーシャルに可愛がられていた。ケインズが経済学者となることを早くからマーシャルは望んでいたという。
4歳にして『利子』が何であるのか、自分の言葉で説明できたという天才であった。
イートン校3年の時にボーア戦争で盛り上がった右傾化をたった一人で批判した。
ブルームズベリー・グループの中心人物の一人であり、彼らが起こした騒動に常に関わっていた。
バイセクシャルで、同じブルームズベリーの会員だったリットン・ストレイチーと愛人関係にあった。後にロシア人バレリーナのリディア・ロポコワと結婚。
風流な遊び人としても知られていた。午前中に自分の投資資産の運営を終わらせ、午後は趣味(学問・芸術・文学・政治など)に費やした。死ぬ直前に残した言葉は“My only regret in life is that I did not drink more Champagne.”(人生のただ一つの後悔はシャンパンをもっと飲まなかったことだ。)
ハリー・ホワイトとともにIMFを創設したため、右翼からスパイ呼ばわりされた。
人間の手に異常な関心を持ち、自身と妻の手の鋳型を作り、友人達の手の鋳型も収集しようとした。また、フランクリン・ルーズベルトとの初会談の際、ルーズベルトの爪の形を気にするあまり、公共事業等について自分が何を話しているのか、ほとんど上の空であったという。
アメリカ合衆国での借款交渉より帰国した際、記者にイギリスはアメリカ合衆国(当時は48州)の49番目の州になるという噂は本当かと尋ねられると、即座に「そんな幸運はないよ」と答えた。
第二次大戦後に保守派のチャーチルケインズに対して「私も君の考え(平和の経済的帰結)が正しいと思っていた、しかし周りがそれを許さなかった」との発言をし、ケインズは終生チャーチルを軽蔑した。
弁論にも長けており、経済学者として活躍するようになったころには、その雄弁さゆえに負けることを恐れて、誰も議論をしてくれなくなった。
経済学者のフリードリヒ・ハイエクは後に彼に対して「彼は堕落した」と述べた。ハイエクが広義の経済学界から身を引いたのは、雄弁家ケインズとの論争に敗北したからであったといわれている。