ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00とデイヴ・ハンセン

ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00 打撃コーチ
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ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00 1986年のMLBドラフト2巡目(全体の47番目)でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。1990年にメジャーデビューすると、アベレージヒッターとして代打・準レギュラーで活躍。特に1993年には、チーム記録となる代打安打18本を記録している。
1997年に移籍したシカゴ・カブスを経て、トミー・ラソーダの推薦で1998年に阪神タイガースに入団。実際はその前年にハンセンサイドから阪神に売り込みがあり、打撃のビデオを見た吉田義男監督は「いりまへん」とこれを一蹴。翌年、またも売り込みがあり吉田はビデオを見て「だいぶよくなりましたな」と評価し、これがハンセン獲得のきっかけとなった。しかし、そのビデオは両方とも全く同じ映像(しかもカブスに移籍していたのにユニホームの違いにも気付かなかった)であったといわれている。
3割、90打点はいけるという触れ込みで、クリーンアップの一角として121試合に出場したものの、打率.253に終わった。またお世辞にも巧いとは言い難い三塁守備で、17失策を記録している。9月23日の対ヤクルト戦では1試合3失策という不名誉な記録も残してしまうなど、悪印象が目立ってしまう結果となり1年で退団。中軸打者としての迫力にはやや欠けたが、脚力はまずまずであった。
翌1999年、古巣ドジャースでメジャー復帰し、主に代打として活躍した。その後はサンディエゴ・パドレスシアトル・マリナーズでもプレーし、2005年に現役引退。