ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00とベン・オグリビー

ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00 物真似
ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00









ラ┐″└|ィ──ッノヽ─├♥Φ♦00 1968年のMLBドラフト11巡目(全体の248番目)でボストン・レッドソックスに入団。1971年、メジャー初昇格。
1974年にデトロイト・タイガース、1978年、ミルウォーキー・ブルワーズに移籍。1980年、41本塁打本塁打王のタイトルを獲得。アメリカンリーグでは初となるアメリカ国籍でない本塁打王となる。
メジャーリーグ本塁打王と言う肩書きを引っ下げ、1987年に近鉄バファローズに鳴り物入りで入団。38歳と高齢な事から衰えを心配する声もあったが、2年連続3割、本塁打20本と安定した成績を残し、一定の存在感を示した。ただ欠場も多く、レフトの守備に就くこともあったが動きは緩慢で見るべき点は無いに等しかった(オグリビーが指名打者で起用されている試合は、ラルフ・ブライアントや淡口憲治などが守っていた)。
1988年シーズン終了後に退団しメジャーに再挑戦するものの、昇格することなく現役を引退。
1998年 - 2006年までサンディエゴ・パドレスのコーチを9年間歴任(2000年以外は傘下マイナーリーグのコーチ)。2007年はタンパベイ・デビルレイズ傘下の1Aベロビーチ・デビルレイズの打撃コーチ、2008年からはレイズ傘下の2Aモントゴメリー・ビスケッツの打撃コーチに就任。
人物
15年以上にわたってメジャーリーグで活躍していた名選手であるが、オグリビーはその輝かしい実績を全く鼻にかけず、尊大な態度をとる事もなく野球に対しての真摯さからファンやチームメイトに愛された。また、逆転ホームランを打った際にはしゃぎながら塁を回ったが、後のインタビューで「つい興奮して相手投手に申し訳ない事をしてしまった。お詫びしたい」とコメントするなど、非常に真面目で紳士的な人柄でも知られた。
このような誠実な性格で同僚からの信頼も厚かった。自分のミスで負けた日に金村義明村上隆行などといったチームメイトに風呂に投げ込まれ、お湯を掛け合うなどしてはしゃぎ、励まされた。「メジャー時代でも白人と黒人が一緒にお風呂に入る事など無かったのに」と言い感激していたという。
伝説の試合と言われた1988年ロッテ対近鉄の10.19にも出場した。10.19で優勝を逃した後、祝勝会になるはずだった残念会を抜け出してホテルのトイレで泣いていた。